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半透明なサラダ

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GO AHEAD


 何で小説を書いているのかを地味に考えてみた。
 歴史的に見ると、高校一年生の時の一月くらいがわたしの出発点かなと思う。ふらりと立ち寄ったビデオ屋の漫画コーナーで、一冊の漫画を手に取って読む。そのとき、精神的に追い詰められている時期にわたしはあったのですが、その漫画を読んで「世の中にこんなにおもしろい物語があったなんて。こんな物語があるのに、自分は何をやっているんだ」と思いまして。そこから、その漫画の原作がラノベだということをどこかで知ったのでしょう、わたしは本屋に出向き、表紙に女の子がプリントされた文庫本に戸惑いつつ、その時はまだオタク的なものに抵抗があり、しかして子供心ながらどうしてもそのラノベにも興味を引かれて、買おうか買わまいか本屋をうろうろしてみたりしました。まあ、結果的には購入したのですけど(笑)。お買い上げありがとうございますって感じです。そのような過程があり、ラノベに出会い、そして小説をやっていくことになったのですね。

 そう言えば、ほとんど小説を読むという行為をしたのはこのときが初めてですね。初めて読んだとき、どうだったかなぁ。読み終わって、何も感想を持たなかった気がします。ただ、時計を見て、時間が三時間ほど経っていて、自分が時間をかけて、小説を一冊読み切ったということに感動したような記憶があります。あれは、何か達成感と言いますか、いまとなってはあまりよく分からない不思議な感覚ですね。でもそこからは本の虫でした。読んだら、次を買ってきて、また読んで、買ってきて。自分の中にフィルターを流し込んでいくように、何か意味のあるものを求めるようにただ読む。いま読書をしたら絶対に考えてしまう、文章や、キャラクターや、構成や、内容や、全部を考えないで読む。いまのわたしにある、センシティブさはそこにない。それって、もう二度と出来ないことですよね。そう考えるとあれは本当にもう、大層貴重な経験だ。自分は、何者にも代え難い経験を、これから先の自分を、その一瞬に込めたんだ。

 そうか。自分は拠り所を奇跡的に得ることが出来たのか。存在意義というか、存在価値というか、存在場所というか。そういう拠り所を作ったのか。小説の、ラノベの、あの狭さが自分に存在場所を与えてくれたのか。へええ、文章を書きながら、〝心辺整理〟が出来た気がする。つまり、「居場所」だ。この空間には、自分の居場所がある。それって、すごく大事なことだ。人間は、居場所を失って孤立すると、不安を感じるようにDNAでインプットされている。不安だと、辛い。一人だと、涙が嘔吐物になって出てくるような感覚に陥る。そんな不安定はだめだ。不安定だと、その人間の世界観は、精神は、ぐらぐらになって崩れてしまう。そのことを、自分はよく知っている。

 守らなきゃ。
 ああ、そうか。だから自分は義侠心が強くてお節介焼きなんだ。自分は、居場所がない人に居場所を与えたいんだ。救けたいんだ。
 同時に、それは自分の小説を書くひとつの理由になっているはずだ。あのとき自分が居場所を見つけられて救われたように、自分もまた誰かを救っていくんだ。いきたいんだ。
 この考えが前に出すぎると、「私のことを見てよ!」のような傲慢なものになってしまうことを、この間学んだ。違うよね。わたしがやりたいのは、「あなたのために」だ。もっともっと、他人に尽くしたい。愛が必要だ。謙虚でなくては。


 ここでひとつ。

「小説とは、傲慢であってはならない。」


 ついつい忘れがちなこと。これを戒めとして、確実に目の前を一歩一歩「GO AHEAD」していこう。
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